「 歴史 」一覧




入試に出る歴史上の人物 「北条泰時」

基本
将軍を補佐する執権として活躍し、武家最初の法律とされる御成敗式目(貞永式目)を定めたのが北条泰時です。

注意
御成敗式目は補足で覚えることが多い用語です。「御家人同士の土地をめぐる争いを裁く法律であった」ことや「もともとあった慣習をまとめたもの」であること、「武家のみに適用され、公家には関係のなかった」ことを覚えておくと入試レベルの正誤問題で差が付きます。

読み:ほうじょうやすとき
時代:鎌倉前半(13世紀前半)


入試に出る歴史上の人物 「後鳥羽上皇」

読み:ごとばじょうこう
時代:鎌倉前期(13世紀前半)

基本
隠岐鎌倉幕府の討伐を目指し、1221年に承久の乱をおこしたのが後鳥羽上皇です。この戦いに勝利した幕府は京都に六波羅探題を設置し、西国にも勢力を伸ばしました。

標準
後鳥羽上皇は戦いに敗れた後、隠岐(島根県)に流されました。
後鳥羽上皇は歌人としても知られ、「新古今和歌集」の編纂を命じています。


入試に出る歴史上の人物 「北条政子」

読み:ほうじょうまさこ北条政子
時代:鎌倉初期(13世紀前半)

基本
源頼朝の妻であり、源氏の将軍が途絶えた後におきた承久の乱御家人に結束を訴えたのが北条政子です。この戦いに勝った鎌倉幕府は京都に六波羅探題を設置し、西国にも勢力を伸ばしました。いわゆる執権政治の成立です。

重要
「みなの者、よく聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝公が朝廷の敵をたおし、幕府を開いてこのかた、官職といい、土地といい、その恩は山より高く、海より深いものでした」
という北条政子が語ったとされる訴えは史料として入試の定番です。大勢の御家人の前で演説したイメージが強いですが、実際は側近数名に語った内容といわれています。

 


入試に出る歴史上の人物 「源頼朝」

読み:みなもとのよりとも源頼朝
時代:平安末~鎌倉初期(12世紀末)

基本
1185年に全国に守護地頭を設置し、武士政権の世をかため、1192年に征夷大将軍となったのが源頼朝です。一般に、頼朝が作り出した政権を鎌倉幕府といいます。

重要
壇ノ浦の戦いで活躍した源義経は弟ですが、戦いの後頼朝と義経は対立し、頼朝が弟をとらえる名目で設置したのが守護・地頭です。

注意
「鎌倉幕府の成立はいつか?」ということがよく言われますが、そもそも「鎌倉幕府」という言葉ができたのは明治時代以降のため、厳密に鎌倉幕府の成立時期を特定することにあまり意味はありません。一般に、1185年と1192年に重点を置く意見が多いので(その理由は上記の守護地頭の設置、もしくは征夷大将軍の就任)、その出来事を覚えておくようにしましょう。

また、古くから源頼朝の肖像画と伝わっていた作品は、最近の研究で別人であるという説が強まっており、教科書では「頼朝の肖像画と伝わる」絵という説明になっています。


入試に出る歴史上の人物 「源義経」

読み:みなもとのよしつね源義経
時代:平安末期(12世紀末)

重要
1185年におきた壇ノ浦の戦い(山口県)で平氏を滅亡させた中心人物が源義経です。鎌倉幕府をつくった源頼朝は兄です。


源平の戦いである、石橋山の戦い→富士川の戦い→倶利伽羅峠の戦い→一の谷の戦い→屋島の戦い→壇ノ浦の戦いという流れは意外と並び替えの問題で出題されます。平氏がかつての根拠地だった西日本に逃れていくことが地図から読み取れます。


入試に出る歴史上の人物 「菅原道真」

重要太宰府天満宮
894年に遣唐使の停止(廃止ではない)を提案し認められたのが菅原道真です。遣唐使が停止された理由はいくつかありますが、「唐のおとろえ」「航海が危険である」という2つが重要です。”白紙(894)に戻す遣唐使”という語呂合わせは定番で、かつその後に唐が滅亡している(907年)という点でも重要です。

注意
“を”“と間違えることが非常に多いので注意が必要です。

読み:すがわらのみちざね
時代:平安時代前半(9世紀末)


入試に出る歴史上の人物 「アテルイ(阿弖流為)」


清水寺奈良~平安初期、東北地方に住み朝廷に従わず独立した勢力を築いていたのが、蝦夷です。その蝦夷の指導者として活躍したのがアテルイ(阿弖流為)です。のちに、坂上田村麻呂に降伏し、彼の助命嘆願もむなしく処刑されています。

読み:あてるい
時代:平安初期(8世紀末)

 


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