「 歴史 」一覧


中学入試プレイバック2019 「フェリス女学院中学」

1932年に成立した満州国には仕事や土地を求め、また国策として多くの日本人が渡りました。それが、終戦直前になるとソ連が日ソ中立条約を破棄し、満州に侵攻しました。住民を守るはずの軍隊(関東軍)はその任務をほぼ放棄し、多くの住民が取り残されました。

そのような混乱の中で、家族が散り散りになり、子どもたちを手放す人も多く生まれました。日本と中国の国交が復活したのが1972年。終戦から27年もたっていました。残留孤児の本格的な調査が行われるようになったのは、それからさらに時が過ぎた1981年のことです。

入試当日、中国残留孤児と書けた生徒は少数派だと思います。ただ、学校側の「知っておいてほしい」というメッセージは感じる問題です。フェリスに限らずですが、女子中学全体として戦争の悲惨さを伝える問題を出題する傾向にあります。テキストの問題として取り上げるのは難しいタイプの問題なので、他の女子中の問題も見ておけるといいですね。

ただし、②の問題は答えたいです。広島(8/6)と長崎(8/9)の原爆投下の間にソ連が日本に侵攻したというのは、上位レベルであれば基本知識です。ソ連がどこに侵攻したかと現在も北方領土をめぐる問題が解決していないことを考えれば、答えを導き出したいところです。

答:①(中国)残留孤児 ②ソ連が日ソ中立条約を破って満州に侵攻したため。


中学入試プレイバック2019 「栄光学園中学」

旧国名と現在の都道府県を一致させる問題は入試でもそこそこ出題されます。全ての旧国名を覚えることは難しいですが、旧国名は伝統工芸品や地形名で今も使われていることが多く、その範囲で出題されることがほとんどです。

アの岡山県は「備前」焼、イの福井県は「越前」和紙で覚えておきたいですね。ともに「前」という感じが使われていますが、これはその地域の中で当時の都(畿内)に近いことを表します。例えば、越中が富山県、越後が新潟県です。
旧国名は律令政治の頃につくられたため、当時の朝廷の支配外だった東北地方は陸奥・出羽と2つに大分されていました。明治になって、陸前・磐城に分けられています。

この問題は「筑後」川、「筑紫」平野といったあたりに気が付けば、筑前は福岡県であると考えることは容易でしょう。むしろ、正解しないといけない問題です。

今回この問題を取り上げたのは、九州の都道府県と旧国名はごちゃごちゃしてるよなぁと思ったからです。地図にしてみると分かります。

福岡県がごちゃついてる。調べていたらこんな記事がありました。

なぜ?街の真ん中に「国境」 住宅街の中に突然、大きな石碑 北九州市(西日本新聞)

同じ県でも地域が違うことはよくありますが、なかなかややこしいそうです。ちなみに、このパターンに当てはまるのは、他に兵庫県があります。あそこも、ややこしい。

答:ウ


中学入試プレイバック2019 「女子学院中学」

歴史の並べ替え問題を解けるようにするために年号を覚えたほうがいいかと聞かれることがあります。私個人は「別に全部覚えなくてもいい派」なのですが、その理由は年号をはっきりいえなくても答えが出せるようになっている問題が多いからです。

この問題でいうと、まずイの鉄道開通は明治維新期ですよね。ウはごく最近の話で、オの八幡製鉄所は日清戦争の賠償金でつくられたという基本知識があります。ここに年号を覚える必要はないわけです。そうは言いながらも、鉄道開通は1872年で、八幡製鉄所は1901年と知っておいて損はないですけどね。1872年は郵便制度、富岡製糸場が同じ年ですし、1901年は足尾銅山鉱毒事件(に関して田中正造が天皇に直訴した)と、重要な出来事がおきている年ではあります。

さて、アとエです。
まず、アの年号は私も知りません。ただし、時期を推測することはそれほど難しいことではありません。なぜ石炭の採掘が行われなくなったかを考えればわかります。それは、輸入石炭に比べ国内の石炭のほうがコストがかかったこと、なによりエネルギー革命によりエネルギーの中心が石炭から石油に移ったためです。エネルギー革命は高度経済成長期の1960年代におきていますから、それからしばらくしてだろうという推測がたちます。問いで「本州にある」と限定しているのは、九州の三池炭鉱などは平成初期まで採掘が行われており、ウ(平成)と時期が近くなることを避けるためだと思われます。
エは長州藩の炭鉱は知らなくても、「藩」なので江戸時代と特定できます。なお、宇部炭田のことだと思われます。ちなみに宇部炭田の閉山は1967年だそうです。

そうすると、江戸→明治初期→明治後期→昭和→平成ときちんと時代が分かれていることが分かりますね。これで十分です。過去問の演習で年号を覚えるべきものと不要なものは、きちんと分けて考えることが重要です。

答:エ→イ→オ→ア→ウ


入試に出る歴史上の人物 「リットン」

注意
1931年に柳条湖事件をきっかけに満州事変がおきました。中華民国が訴えた結果、国際連盟により調査団が派遣されました。この調査団の団長がリットンです。調査の結果、満州事変後成立した満州国は認められず日本は国際連盟を脱退しました。

リットンは意外と入試で出題されます。満州事変を調査している写真が有名ですね。

時代:20世紀前半(昭和戦前)


中学入試プレイバック2019 「慶応義塾中等部」

やはり出ました。元号問題。以前、「入試に出る元号一覧」という記事を書きましたが、ほぼそのまま登場しました。問題の印象としてはちょっと安直すぎるんじゃないかとも思います。慶應義塾は時折、そういう問題を出しますね。

少しいちゃもんを付けるなら、⑤で元軍が暴風雨によって大損害を受けたという説明ならば、答えは「文永」ではなく、「弘安」のほうが適切ですね。元寇といえば、「神風」が吹いて元軍が撤退したという話が有名ですが、文永の役のときは天候関係なく元軍が撤退したという説もあります。それに対して、弘安の役のときに暴風雨が吹いて多くの船が沈没したのは間違いないからです。

④の法律は御成敗式目です。貞永式目という言い方もしますので、それが頭にあれば大丈夫でしょう。
⑧の慶応は、この中では難しめ。もっとも、他の選択肢を除いていけば答えられるはずです。

⑨の平成の文章は工夫を感じますね。明治・大正・昭和は天皇の諮問機関である枢密院によって決定されました。「政府」と鍵かっこを付けているのはそういう理由です。

2019年5月1日に新しい元号に代わります(早く発表しようよ)。来年の入試でも、同様の問題は出題されるでしょう。

答:①オ ②カ ③ク ④エ ⑤キ ⑥イ ⑦ア ⑧ウ ⑨ケ


中学入試プレイバック2019 「筑波大学付属駒場中学」

人口重心とはなかなかマニアックなところをついてきました。現在(2015年)の人口重心は岐阜県関市にあります。関市は刃物で有名な街です。上の地図を見てわかるように近年、人口重心は南東に動きつつあります。人口が南東に集まりつつある、つまり関東地方に人口が集中していることが分かります。

今回の問題では、縄文時代の人口中心がどこにあったかを答える問題です。もちろん、受験生の99%が知らない知識ですから、その場で考えて解くことになります。
ポイントは、「木の実を付ける落葉広葉樹林の広がる東日本が、照葉樹林の茂っていた西日本より食料を得ることが容易だった」という一文です。食料が豊富ということは人口が多いということです。つまり、当時の人口中心はやや東寄りだったことが予測できます。それを考えると、答えはオの長野県ということになります。ちなみに、人口中心が長野県にあるということは、関東北部や東北地方に多くの人口がいたことがいえるでしょう。

あらためて見ると、縄文時代を代表する三内丸山遺跡は青森県です。それ以外にも大森貝塚(東京都)縄文時代の遺跡が東日本には多くあります。これが、弥生時代になると唐古遺跡(福岡)、吉野ケ里遺跡(佐賀)など西日本にも遺跡が増えていきます。そして、古墳時代では近畿地方に多くの古墳があり、ヤマト政権の勢力が畿内を中心に広がりました。

時代によって、中心となる場所は変わっていくことが分かりますね。

答:オ


中学入試プレイバック2019 「桜蔭中学」

今回取り上げた問題は、普段だとグラフで出題されることが多い問題です。実例をお見せします。

同じことを聞かれていても出題形式が変わると違う印象を受けますね。

1890年に輸入品の上位だった綿糸が、1910年には輸出品に変わっていることは、当時の日本の産業構造で大きな変化があったことを示します。綿糸というのは綿花を原料にして加工した工業製品です。1890年の日本は工業製品を輸入する側だったということです。それが、20年の間(実際には1895年前後)に輸出する側に変わったということは、短期間で日本が工業国へと変化したことがわかりますね。
ちなみに、1894年が日清戦争がおきた年です。社会科的には、日清戦争前後で軽工業で産業革命がおきたというのが定番の知識です。このデータからそれが裏付けることになります。

答:エ


中学入試プレイバック2019 「武蔵中学」

まずは、基本データから。1964年に約12万人だった日本人の海外旅行者は、1972年に100万人を突破し1979年には約400万人と約30倍と驚異的な伸びをしています。さらに、バブル末期の1990年に1000万人を突破、近年は伸びなやんでいるものの約1600~1800万人という多くの人が海外に出かけています(といいながら、この文を書いている私は海外旅行経験ゼロです)。

入試問題の記述問題を答えるポイントはできるだけ自分の持っている知識で勝負することです。極端な話、「日本の経済が発展し、日本人に海外旅行に行く余裕が出てきたから」で正解ではないにしろ、点数はもらえます。ここで注意すべきは「高度経済成長」という言葉を下手に入れないことでしょう。高度経済成長は1973年石油危機により終了しており、1970年代後半には関係がありません。ですので、1970年代以降に増加している根拠で高度経済成長を書くのは危険です。とはいえ、JTB総合研究所が出しているデータを見る限り、海外旅行に関して石油危機の影響は少なかったように見えます。

海外旅行というと、景気同様に大きな影響を受けるのは為替です。円高になると円の価値が上がり、海外の商品を安く感じられ買いやすくなる、つまり輸入や海外旅行に有利になります。

世界は戦後、ブレトンウッズ体制とよばれるアメリカを基軸通貨とした固定相場制をとってきましたが、1971年のニクソンショックを受け変動相場制に移りました。1ドル360円で固定されていた為替相場は、1ドル308円で固定されたのち、変動相場制へと変わりました。これ以降、円とドルの関係は円高ドル安に進んでいきます。

ブレトンウッズ体制や変動相場制はともかく、円高が進んだという話は、それにより輸出産業にダメージを受け海外移転が進んだという話は受験生にとって既知の知識です。これと経済成長を組み合わせれば正解に近づきます。記述問題としては何とか取りたいレベルの問題です。

答:日本の経済発展が進み海外旅行をする余裕が出てきたことと、円高が進み海外旅行がしやすくなったため。


入試に出る歴史上の人物 「芥川龍之介」

標準
芥川龍之介大正時代を代表する作家で、「蜘蛛の糸」「羅生門」などの作品が代表作の人物が芥川龍之介です。

優れた純文学に贈られる賞である「芥川賞」は芥川龍之介からきています。中学校の教科書では太字で重要人物として紹介されることが多いですが、中学入試では完全に国語の文学史で出題される人物です。

読み:あくたがわりゅうのすけ
時代:大正時代(20世紀初期)


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