「トクガワ~」-中高受験社会科用語集

社会科用語集

徳川家斉(とくがわいえなり)

人名(1773年~1841年:江戸時代中後期)

高受1江戸幕府11代将軍が徳川家斉です。在位期間に、松平定信による寛政の改革が行われています。化政文化がさかえたのも家斉の在位期間の出来事です。
中学校の教科書にときおり名前だけ登場しますが、問題ではほとんど出題されません。

征夷大将軍の在位50年は歴代最長です。子どもが53人もいたというのは、絶対ウケるんでしょうけど塾で使う機会はないな…。

徳川家光(とくがわいえみつ)

人名(1604年~1651年:江戸時代前期)

中受5高受5江戸幕府3代将軍が徳川家光です。江戸時代前期を代表する人物ですね。
大名を取り締まる法令である武家諸法度に参勤交代を制度化しました。
1637年に江戸時代最大の内乱である島原・天草一揆がおき、2年後の1639年にはポルトガル船の来航が禁止されました。いわゆる「鎖国」の完成したもの家光の時代です。

中受2家光が将軍になったときに、大名たちに「わたしは生まれながらの将軍である。今後は、あなたたちを家来として扱う」と言ったとされる話が歴史史料としてよく登場します。ただ、この内容だけで徳川家光と特定させる問題は、きちんとした入試問題ではまず出題されません。参勤交代や鎖国といった内容とセットで登場します。
徳川家康をまつった日光東照宮を整備したのも徳川家光です。

業績だけ見ると、すごく有能そうに見えるけど実際は重臣任せだったらしい…。

徳川家茂(とくがわいえもち)

人名(1846年~1866年:江戸時代末期)

高受1江戸幕府14代将軍が徳川家茂です。朝廷と幕府の関係改善をめざす公武合体の政策として、家茂の夫人に孝明天皇の娘である和宮をむかえました。家茂も中学校の教科書で名前が登場する程度ですね。

徳川家康(とくがわいえやす)

人名(1543年~1616年:安土桃山時代・江戸時代初期)

中受5高受51600年、天下分け目の戦いといわれた関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開いたのが徳川家康です。関ケ原の戦いで豊臣家が滅亡したわけではないので注意が必要です。

中受4高受2徳川家康を神としてまつった神社が世界文化遺産にも登録されている日光東照宮(栃木県)です。中学入試では必須知識ですが、高校入試ではそれほどでもありません。

中受2徳川家康は三河(愛知県)出身の戦国大名です。将軍を2年で息子の秀忠に譲った後も権力を持ち、1615年大阪の陣で豊臣家を滅亡に追い込んでいます。

「泣かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」でおなじみ三英傑の一人ですが、信長・秀吉に比べると出題頻度は一枚落ちます。

徳川綱吉(とくがわつなよし)

人名(1646年~1709年:江戸時代前期)

中受5高受4江戸幕府5代将軍が徳川綱吉です。動物の極端な愛護令である生類憐みの令が有名ですが、最近では生命や自然を尊重する道徳概念をもたらしたという再評価も行われています。
江戸時代前期の華やかな町人文化である元禄文化がさかえたのも綱吉の時代です。

中受3高受2徳川綱吉は儒教をさかんにし、礼儀・忠節を重要視する政治を行いました。江戸時代は商品流通がさかんになり金銀が不足したため、綱吉のころ貨幣に含まれる金・銀の割合を下げました。その結果、物価上昇を招きました。

綱吉という字は意外と漢字間違いが発生しやすい字なので注意が必要です。

生類憐みの令を含めて、再評価の進んでいる人物ですね。教科書の表現も現在の歴史研究を踏まえたものになりつつあります。にもかかわらず、入試問題でケロッと「生類憐みの令を出し庶民を苦しめた将軍の名前を答えよ」といった問題が出ることがあるのでちょっとげんなりします。
問題をつくる側としては生類憐みの令ってキャッチ―で使いやすいのも事実ですが…。

徳川秀忠(とくがわひでただ)

人名(1579年~1632年:江戸時代前期)

中受3高受2江戸幕府の2代将軍です。大名を取り締まるきまりである武家諸法度を定めました。家康・家光の陰に隠れがちですが、武家諸法度という最重要史料と関わりのある人物なので、入試に向けては覚えておきたい人物です。

徳川光圀(とくがわみつくに)

人名(1628年~1701年)

高受1徳川綱吉と同時代の御三家・水戸藩藩主です。歴史書「大日本史」の編さんを命じました。「大日本史」は幕末の尊王攘夷思想に大きな影響を与えました。

ご存知、水戸黄門です。なんですが、今の子どもたちは水戸黄門知らないんですよね…。ちなみに、「大日本史」の完成は明治時代までかかったという大事業でした。

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

人名(1837年~1913年:江戸時代末期)

中受5高受5江戸幕府最後の将軍が徳川慶喜です。政治の実権を朝廷に返す大政奉還を1867年に行いました。ちなみに、大政奉還を行ったのは二条城中受1です。

1867年という年号は時代の変換点となる重要な年号なので必ず覚えておきましょう。「ひとやむなしく大政奉還」あたりの語呂合わせが定番でしょうか。また、慶喜という漢字が難しいので必ず書いて練習するようにしましょう

将軍として、江戸城にいたことがない唯一の将軍です。江戸幕府最後の将軍ということで評価の難しい人物ですが、彼の決断が国内の内乱を少しでも小さくしたのは間違いないでしょう。

徳川吉宗(とくがわよしむね)

人名(1684年~1751年:江戸時代中期)

中受5高受518世紀前半、江戸幕府の8代将軍として享保の改革を行ったのが徳川吉宗です。徳川吉宗は庶民の意見を聞くために目安箱を設置し、裁判の基準となる公事方御定書を制定しました。
吉宗は新田開発を行い、幕府の収入を増やそうとするとともに、無駄な出費を抑え幕府財政の立て直しを狙いました。米の値段の安定に苦心し「米将軍」とよばれました。

中受3高受3徳川吉宗は7代将軍家継が若くして亡くなったため、御三家である紀伊藩からあとを継いだ将軍です。大名から米を集める代わりに参勤交代の期間を緩める上米の制を行いました。

中受3高受2キリスト教に関係のないオランダ書の輸入を許し、蘭学がおこるきっかけをつくりました。また、青木昆陽にさつまいもの研究を吸進めさせたのも徳川吉宗です。

高受1目安箱の投書をもとに江戸の消火活動を行う町火消を設置しました。吉宗に登用されて町火消の設置などに活躍したのが、大岡忠相です。

覚えるべき内容の多さを見ればわかるように、江戸時代中期を代表する政治家ですね。

この仕事を始めたころは「ちゃーんちゃーちゃーんちゃちゃちゃん」と暴れん坊将軍のテーマをいえば、生徒たちが「あぁ~」となったものですが今は遠い昔です。

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