中学入試 入試に出る歴史上の人物プリント 古代 基本編

プリント

概要

 中学入試社会科で登場する歴史上の人物のうち、古代の最重要人物25人を一問一答形式で確認できるプリントを配布いたします。右の画像をクリックしていただければPDF画面になりますので、印刷などしてご活用いただければ幸いです。 

個人用だけでなく、学習塾等で補習などで自由にご利用いただけます。塾でも使いやすいように、「社会科の歩き方」が作成したという表記は、プリント左上のロゴのみにとどめています。

画面最下部では、問題の順番を変更したプリントを有料販売しておりますので、再テストなどでご活用ください。

収録されている歴史上の人物の解説

解説部分の説明

今回収録されている内容について解説をしています。解説内容は随時更新しております。文章につけてあるマークの意味は以下の通りです。

太字……重要語句です
赤のアンダーライン……プラスアルファで覚えておきたい内容です。
青のアンダーライン……記述問題で出題されやすい内容や注意しておきたい内容です。

卑弥呼

み:ひみこ 活動時期:3世紀前半(弥生時代)

 3世紀に日本にあったとされる邪馬台国の女王が卑弥呼です。受験生で卑弥呼が分からない人はほとんどいないですね。ただ、卑弥呼を漢字で書けるかどうかは別の問題です。

 邪馬台国については、「魏志倭人伝」という中国の歴史書に記録が残っています。邪馬台国の場所は分かっておらず、畿内説と九州北部説が有力です。魏志倭人伝に書かれている場所だと、邪馬台国の場所は九州のはるか南の海中になっちゃんですよね。

卑弥呼については、魏志倭人伝で次のように書かれています。

その国は、もとは男子を主としたが、七~八十年ほど前、倭国が乱れ、何年もお互いに攻め合ったので、諸国は共に一女子を立てて王とした。これを卑弥呼という。彼女は神がかりとなり、おそるべき霊力を現した。すでに年をとってからも、夫をもたず、弟がいて、政治を補佐した。王となってから、彼女を見たものは少なく、婢千人をその身辺に侍らせ、ただ一人の男子が飲食を給し、女王の言葉を伝えるのに居処に出入りした。宮殿・物見櫓・城柵などは厳重に設けられ、つねに兵器をもった人々がこれを守衛していた。

魏志倭人伝(引用元:https://www.yoshinogari.jp/ym/topics/)

 卑弥呼がまじないなどの力を用いて国を治めていたこと、ほとんど人前に姿を現さなかった辺りは入試でも聞かれますね。あと、邪馬台国は30ぐらいの国を治めていたのもポイントかな。

聖徳太子(厩戸皇子)

読み:しょうとくたいし(うまやどのおうじ) 活躍時期:6世紀末~7世紀初め(飛鳥時代)

 593年、おばである推古天皇摂政についた人物が聖徳太子です。聖徳太子に協力した豪族が蘇我馬子ですね。聖徳太子は603年、能力ある役人を取り立てるため冠位十二階を制定しました。翌年、役人に対して心構えを示す十七条の憲法(憲法十七条)を制定しています。さらに、607年、小野妹子を遣隋使として派遣しました。これらの内容は時代順に並べ替えをする問題の定番です。

 また、現存する世界最古の木造建築である法隆寺をつくらせました。聖徳太子の頃の文化を飛鳥文化といいます。

 「聖徳太子」という名前は死後よばれるようになった名称のため、高校の教科書では厩戸皇子もしくは厩戸王という表記が主流になっています。中学校の教科書でも「聖徳太子(厩戸皇子)」という書き方がされています。受験テクニックとしては、聖徳太子と書いたほうが漢字の間違いが発生しない(厩という字は難しい)ので、聖徳太子と答えたほうがいいですね。

 最新の研究成果で教科書の扱いが変わった筆頭にあげられる聖徳太子ですが、今でも重要人物なことに変わりはありません。飛鳥時代を代表する人物として入試でも最頻出の人物です。

小野妹子

読み:おののいもこ  活躍時期:7世紀初め(飛鳥時代)

聖徳太子の指示のもと、遣隋使として派遣されたのが小野妹子です。遣隋使といえば

「日がのぼる国の天子が、日の沈む国の天子に手紙を送ります。お変わりありませんか」

「隋書」倭国伝

という隋の皇帝にあてた手紙がおなじみですね。ここには、隋との対等な外交をしようと考えた当時の政権の意図があったと考えられています。

 小野妹子は他の時代の外交官(たとえば、遣唐使の犬上御田鍬)と比較しても登場頻度の高い人物ですね。よく考えると、ちょっとだけ不思議です。

中臣鎌足

読み:なかとみのかまたり  活躍時期:7世紀中期(飛鳥時代)

645年からおこった大化の改新中大兄皇子の協力者として活動しました。後に、藤原の名字を授かり、藤原氏の始祖となりました。

「藤原」の名を授かったのは、亡くなる直前だとされるので、大化の改新がおきたときは「中臣鎌足」が正解になります。中高受験社会で「藤原鎌足」と書く場面はほぼありません。

中大兄皇子

読み:なかのおおえのおうじ  活躍時期:7世紀中期(飛鳥時代)

645年、朝廷で強い権力を握っていた蘇我氏を滅ぼし、天皇中心の政治を目指しました。この一連の動きを大化の改新といいます。これに協力した人物として有名なのが中臣鎌足です。

 663年、朝鮮半島の友好国だった百済を助けるため兵を送りますが、唐・新羅連合軍の前に白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで敗れます。白村江の戦いで敗れた後、都を近江(滋賀県)の大津京に移して天智天皇として即位をしています。
 天智天皇の死後、後継ぎ争いがおこりました。これを壬申の乱といいます。

 近年の入試は、外交関係を重視するところがあり昔と比べて白村江の戦いの重要度は上がっています。大化の改新のときはまだ天智天皇になっていないので、「大化の改新の中心人物」が出題されたときは中大兄皇子と答えましょう。また、「大化」は日本で最も古い元号とされていますが、実際に元号が使われるようになったのはもう少し後の時代からというのが最近の研究成果です。

天武天皇

読み:てんむてんのう  活躍時期:7世紀後半(飛鳥時代)

 672年、天智天皇の後継ぎをめぐる争いである壬申の乱がおこりました。それに勝利したのが天武天皇です。天武天皇に即位する前の名前は大海人皇子です。壬申の乱で破った相手は天智天皇の息子である大友皇子です。

持統天皇

読み:じとうてんのう  活躍時期:7世紀後半(飛鳥時代)

日本で初めての本格的な都である藤原京に都を移したのが、持統天皇です。壬申の乱で勝利した天武天皇の妻で、彼の死後即位しました。

藤原京の発掘調査によって、その規模がこれまで思われていたものより大きかったことが分かり「初の本格的な都」という表現が着けられるようになってきました。それに伴って、当時の天皇だった天武・持統天皇の重要度は上がっています。

聖武天皇

読み:しょうむてんのう 活躍時期:8世紀半ば(奈良時代)

 聖武天皇は奈良時代を代表する人物で、各国に国分寺・国分尼寺をつくり、奈良には東大寺を建立しました。聖武天皇の時代は病気や反乱がおきたため、仏教の力で国を治めようと考えたためです(鎮護国家)。

 聖武天皇のころの文化は、その時代の元号から天平文化といわれています。東大寺にある正倉院は聖武天皇の遺品が納められた倉庫として知られています。

 大仏建立を決めた743年には、新しく開墾した土地の永久私有を認める墾田永年私財法を制定しました。個人の私有地である荘園が登場するようになるのは、これ以降です。

 聖武天皇の妻は皇族以外(藤原氏)で初めて皇后になった光明皇后です。

 聖武天皇は在位中に都を平城京→恭仁京→紫香楽宮→難波京→平城京と遷都しています。時折入試でも出題されていることではあるのですが、覚える手間と必要性を考えると社会科としては不要なのではないかと思っています。

 聖武天皇は奈良時代を代表する人物として、入試で最も出題される人物の一人でしょう。

行基

読み:ぎょうき 活躍時期:8世紀半ば(奈良時代)

 聖武天皇の依頼で東大寺大仏の建立に協力したのが行基です。行基は治水や橋の建設などを行い、民衆の支持を得ていました。

鑑真

読み:がんじん 活躍時期:8世紀半ば(奈良時代)

 仏教の知識を日本に伝えるために、唐から日本に招かれた僧が鑑真です。日本への渡航は5回失敗し、6度目の渡航でやっと日本にたどり着きました。鑑真が日本で建立したとされる寺が唐招提寺です。

唐招提寺の金堂と現在に伝わる鑑真像は写真史料問題の定番の一つです。

唐招提寺

練習用プリントの販売

上記プリントの問題順を入れ替えたプリントを販売いたします。再度の練習などにご活用ください。

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