江戸時代中期に老中として、積極的な経済政策を行ったのが田沼意次です。商人の同業者組合である株仲間を積極的に奨励し、そこから税を取ることで幕府の財政を安定させようとしました。
印旛沼・手賀沼の干拓による新田開発や蝦夷地の開発を行おうとしました。しかし、天明の大ききんがおきるなどしたため、またわいろが横行したことを批判され失脚しました。
(高校入試限定)田沼意次が老中を1772年で、アメリカ独立戦争が起きた時期(1775年)に近いため、日本と世界の同時代史を問う問題で出題されることがあります。
近年の近世史の再評価により、大きく扱いが変わった人物が田沼意次です。昔は、田沼意次=わいろでしたが、今は授業で説明するときはそのことは口頭で軽く触れる程度ですね。
問 長崎貿易を活発にするために海産物の輸出をうながし、株仲間の営業を積極的に認めるなど、商業を重視した人物を次のア~エから選び、1つ選び記号で答えなさい。(2018年沖縄県公立高)
ア.徳川綱吉 イ.徳川吉宗 ウ.田沼意次 エ.水野忠邦答:ウ
読み:たぬまおきつぐ
時代:江戸時代中期(18世紀後半)