「 六波羅探題 」一覧

入試に出る歴史史料「承久の乱」

武士たちは、以前は3年間の都の警備を終えたとき、(中略)とぼとぼ歩いて帰ってきたではないか。頼朝公はそれをあわれに思い、3年を6か月に縮め、生活が成り立つようにされたのだ。この情け深い御心を忘れて、京都に味方するのか。それとも鎌倉にとどまって、将軍家に奉公するのか。今はっきりと申してみよ。


1221年におきた承久の乱のとき、御家人を結束を促すために源頼朝の妻、北条政子がいったとされる言葉です。承久の乱とそれをおこした後鳥羽上皇、乱に勝利した幕府が京都につくった六波羅探題と関連事項の多い史料です。入試で再頻出の史料の1つといえるでしょう。
上の史料の「頼朝公」の部分は本来「故右大将軍」と表記されており、この部分に下線を引いて源頼朝を答えさせる問題もありますね。


入試に出る歴史上の人物 「後鳥羽上皇」

読み:ごとばじょうこう
時代:鎌倉前期(13世紀前半)

基本
隠岐鎌倉幕府の討伐を目指し、1221年に承久の乱をおこしたのが後鳥羽上皇です。この戦いに勝利した幕府は京都に六波羅探題を設置し、西国にも勢力を伸ばしました。

標準
後鳥羽上皇は戦いに敗れた後、隠岐(島根県)に流されました。
後鳥羽上皇は歌人としても知られ、「新古今和歌集」の編纂を命じています。


入試に出る歴史上の人物 「北条政子」

読み:ほうじょうまさこ北条政子
時代:鎌倉初期(13世紀前半)

基本
源頼朝の妻であり、源氏の将軍が途絶えた後におきた承久の乱御家人に結束を訴えたのが北条政子です。この戦いに勝った鎌倉幕府は京都に六波羅探題を設置し、西国にも勢力を伸ばしました。いわゆる執権政治の成立です。

重要
「みなの者、よく聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝公が朝廷の敵をたおし、幕府を開いてこのかた、官職といい、土地といい、その恩は山より高く、海より深いものでした」
という北条政子が語ったとされる訴えは史料として入試の定番です。大勢の御家人の前で演説したイメージが強いですが、実際は側近数名に語った内容といわれています。

 


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