「 内閣総理大臣 」一覧

入試に出る歴史上の人物 「浜口雄幸」

応用
1930年にロンドン海軍軍縮条約を調印したときの内閣総理大臣が浜口雄幸です。

浜口はアメリカ・イギリスとの協調外交を目指しましたが、軍部などの反発を受けました。過激主義者から狙撃をされた浜口は退陣に追い込まれました。

読み:はまぐちおさち
時代:大正末・昭和初期(20世紀前半)


入試に出る歴史上の人物 「加藤高明」

注意
1925年に治安維持法普通選挙法が制定されました。この時の内閣総理大臣が加藤高明です。加藤高明は、前年に起きた第二次護憲運動の中心人物の一人です。加藤内閣から犬養内閣まで衆議院で第1党の党首から内閣総理大臣を選ぶ時期が続き、「憲政の常道」とよばれました。

治安維持法と普通選挙法という1925年セットは入試での定番中の定番です。大正時代の政治家はどうしても原敬が優先されるので、始めて学習するときには軽くしか触れない人物ですが、重要な項目は多く入試では割と出題されるので注意が必要です。

読み:かとうたかあき
時代:20世紀前半(大正時代)


入試に出る歴史上の人物 「西園寺公望」

注意
明治末期から大正時代前期に内閣総理大臣を2回務め、ベルサイユ条約では全権大使として派遣された人物が西園寺公望です。

西園寺公望は大正・昭和初期を通じて、「最後の元老」として大きな影響力を持ちましたが、その辺りは出題されません。

読み:さいおんじきんもち
時代:20世紀初期(明治末期・大正時代)


入試に出る歴史上の人物 「桂太郎」

注意
長州藩出身で、明治末期から大正初期にかけて内閣総理大臣を3度に渡って務めた人物が桂太郎です。3度目に内閣総理大臣になった際、藩閥政治に対する批判が強まり(第1次護憲運動)、桂内閣は約2か月で総辞職しました。
内閣総理大臣の在任期間が最も長い人物でもあります。

護憲運動は第1次・第2次と大きく2回起きていますが、中学入試では区別せず護憲運動とのみ表記することが大半です。日露戦争時の内閣総理大臣で在職1位という実績を考えれば、もっと出題されても不思議はないのですが、中高入試では「護憲運動で失脚した人」として語られるのが不遇です(いらすとやを含めて、桂太郎に当てはまる画像もなかったし)。

読み:かつらたろう
時代:20世紀初期(明治末~大正初期)


入試に出る歴史上の人物 「佐藤栄作」

重要
ノーベル賞 1972年沖縄が日本に返還されたときの内閣総理大臣が佐藤栄作です。1964年に内閣総理大臣に就任した佐藤は連続在任期間の記録を持っています。
1965年日韓基本条約、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則の発表はともに佐藤栄作が首相を務めていた間の出来事です。日本人唯一のノーベル平和賞受賞者でもあります。

1972年は沖縄返還と日中共同声明という大きな出来事が2つおきている昭和戦後の中で最重要の年号ですが、沖縄返還を最後に佐藤栄作は退陣し、日中共同声明のときは田中角栄に首相が代わっています。つまり、沖縄返還→日中共同声明という同じ年号での並べ替え問題が成立するということで注意が必要です。

読み:さとうえいさく
時代:昭和戦後(20世紀半ば)

 


入試に出る歴史上の人物 「吉田茂」

基本
1951年、内閣総理大臣としてアメリカとの講和条約であるサンフランシスコ平和条約を調印した人物が吉田茂です。同時にアメリカ軍が日本にそのまま残る取り決めである日米安全保障条約も調印しました。

サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の1951年に起きた出来ごとをセットは問う問題は定番中の定番です。

時代:昭和戦後(20世紀半ば)
読み:よしだしげる


入試に出る歴史上の人物 「伊藤博文」

基本
伊藤博文1885年内閣制度ができ、初代内閣総理大臣となったのが伊藤博文です。

重要
伊藤博文は吉田松陰が指導者として活動した松下村塾のメンバーの1人です。
明治維新期には岩倉使節団のメンバーとして欧米に派遣されました。
議会開設が決まった際に、各国の憲法を調査するためにドイツに留学をしています。「天皇中心の国づくりを目指して、君主県の強いドイツの憲法を参考にした」というのは、記述問題の定番の1つです。
日清戦争開戦時の内閣総理大臣でもあり、講和条約である下関条約に調印しました。

応用
日露戦争後、韓国統監府の初代統監を務めたのが伊藤博文です。韓国併合(1910年)の前年、ハルビンで韓国の青年安重根によって暗殺されています。

注意
1889年、大日本帝国憲法が発布されたときは内閣総理大臣は黒田清隆になっており、伊藤博文でないので注意が必要です。また、意外と「博」の字を間違えやすい(最後の点を付け忘れる)ので、気を付けましょう。

明治時代全体を通じて、様々な形で登場する最重要人物の1人です。ちなみに、初代内閣総理大臣にして、最年少の内閣総理大臣(44歳)です。憲政に対する貢献により、大隈重信・板垣退助とともに国会議事堂中央広間に銅像が建てられています。

読み:いとうひろぶみ
時代:明治時代(19世紀後半)


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