「 史料 」一覧

入試に出る歴史史料「承久の乱」

武士たちは、以前は3年間の都の警備を終えたとき、(中略)とぼとぼ歩いて帰ってきたではないか。頼朝公はそれをあわれに思い、3年を6か月に縮め、生活が成り立つようにされたのだ。この情け深い御心を忘れて、京都に味方するのか。それとも鎌倉にとどまって、将軍家に奉公するのか。今はっきりと申してみよ。


1221年におきた承久の乱のとき、御家人を結束を促すために源頼朝の妻、北条政子がいったとされる言葉です。承久の乱とそれをおこした後鳥羽上皇、乱に勝利した幕府が京都につくった六波羅探題と関連事項の多い史料です。入試で再頻出の史料の1つといえるでしょう。
上の史料の「頼朝公」の部分は本来「故右大将軍」と表記されており、この部分に下線を引いて源頼朝を答えさせる問題もありますね。


入試に出る歴史史料 「土佐日記」

男もすなる日記というものを女もしてみむとてするなり


平安時代中期に紀貫之によって書かれた紀行文が土佐日記です。上の文章はその冒頭部分になります。当時、かな文字は女性が主に使うものだったため、女性にかこつけてかかれているのが特徴です。

この史料も、史料だけで作品名が判別できないといけないレベルではありません(社会科は)。紀貫之は、古今和歌集の編者でもあるので紫式部・清少納言についで国風文化の重要人物として覚えておきたいです。


入試に出る歴史史料 「望月の歌」

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば


藤原道長が、三代続けて自分の娘を天皇の后とした満足感からよんだ歌です。平安時代を代表する歴史史料として再頻出ですね。

藤原道長といえば自分が行った摂関政治、息子で平等院鳳凰堂をつくった藤原頼通という重要事項と直接つながありがある人物です。さらに、道長の娘に「源氏物語」でおなじみ紫式部が仕えていました。そのため、この史料1つで国風文化に関する知識もアプローチしやすいという、出題する側にとって便利な歴史史料です。


入試に出る歴史史料 「尾張国郡司百姓等解」

尾張国の郡司と人民が太政官の裁断を請願すること

国守の藤原元命(ふじわらのもとなが)が三年の内に収奪した非合法な官物や不正行為について三十一か条にわたって嘆願書を提出します。


平安時代に入ると律令政治が乱れ、国司の不正が横行しました。その国司の不正について説明するときに使われるのが上の資料です。資料そのものは教科書に載っていることが多いですが、この史料だけで答えを求める問題はあまり出題されません。
この史料で聞かれるのは国司についてです。国司というのは、律令政治において中央からそれぞれの国を任された中央貴族です。

似たような資料で鎌倉時代の地頭の横暴を訴える史料もあるので、注意しましょう。


入試に出る歴史史料 「大仏建立の詔」

仏教を興隆させるという悲願を起こして盧舎那仏の金銅像一体(大仏)を鋳造することとする。


743年に聖武天皇によって大仏をつくる命令が出されました。752年に完成した東大寺の大仏です。その大仏を建立することを決めた指示が歴史史料として出題されています。

東大寺・大仏・聖武天皇といえば、天平文化・正倉院・光明皇后といった関連語句の多い項目です。基本中の基本なのですが、史料をもとに問題が出題されるととたんにできなくなりますね。まぁ、それが出題者の狙いなのですが…。

743年は新たに開墾した土地の永久私有を認めた墾田永年私財法が出されていることも覚えるポイントです。


入試に出る歴史史料 「あおによし奈良の~」

あおによし 奈良の都は 咲く花の におうがごとく 今盛りなり


奈良時代の詩人、小野老(彼の名前は入試では出ません)がうたった万葉集に収録されている歌です。平城京の華やかな様子を描いた歌として入試では出題されます。入試での出題パターンは奈良の部分に下線が引かれていて、何を指すか(答え「平城京」)を問うのが、パターンです。


入試に出る歴史史料 「防人の歌」

からころも すそにとりつき 泣く子らを おきてぞきぬや 母なしにして


日本最古の歌集「万葉集」に収録されている、出征する防人(さきもり)が歌ったとされる歌です。防人は飛鳥・奈良時代の律令政治下で、九州・大宰府の防衛を行った兵士なのは、おなじみです。この歌の登場頻度は高いですが、史料のみで防人と答えさせる問題は出題されないので、安心してください。

…それにしても、タイトルだけ見るとさだまさしですね…。


入試に出る歴史史料 「貧窮問答歌」

父母は枕のほうに、妻子たちは足のほうに、私を囲むように嘆き悲しんでいる。かまどにはクモの巣がはっている。…それでもむちを持って税を催促する里長の声が寝床まで聞こえてくる。
世の中は辛いことばかりだと思うが、鳥ではないので、飛び立って逃げることもできない。


奈良時代初期の貧しい農民の暮らしを、当時の貴族だった山上憶良がうたった歌が貧窮問答歌です。出題される内容は作者名、作品名、そして時代です。史料を見て奈良時代とわかるようにしておきたいです。この内容から班田収授法や租・庸・調といったこの時代の税制の問題に持っていくことも多いです。

小中学校のテキストに載っている歴史史料の中では圧倒的に物悲しい史料ですよね。授業で情感たっぷりに音読するとウケます。後、現在の元号「令和」の典拠は万葉集で、該当する詩が歌われた集まりに山上憶良もいたとされます。そういう関連でも登場しそうな史料です。

読み:ひんきゅうもんどうか


入試に出る歴史史料 「遣隋使」

国書には「日の昇るところの天子が、日の没するところの天子に書をおくります。ごきげんいがかですか」などと書かれていた。

古代を代表する歴史史料「遣隋使の派遣」です。資料そのものは「隋書倭国伝」に記載されていますが、そちらはほとんど出ません。出題されるポイントは以下の通りです。

・使節が派遣されたのは607年。年号そのものよりも冠位十二階・十七条の憲法の後というのがポイント)
・派遣を命じたのは聖徳太子で、使者は小野妹子
・相手国は隋
・狙いは大陸の優れた制度・文化を学ぶこと

少し難しめの内容としては、どちらも天子(皇帝)という立場で親書を出すことで「対等の立場での外交をしようとした」ことを記述問題で聞かれることがあります。

あと、「遣」も「隋」も間違えやすい漢字なので注意しましょう。

1つの資料で複数の知識が問える便利な史料です。それにしても、失礼な文面ですね。


入試に出る歴史史料 「憲法十七条(十七条の憲法)」

一 をとうとび、争うことのないようにしなさい。
一 仏教をあつく敬いなさい。
一 天皇の命令には従いなさい。


憲法十七条(十七条の憲法)は推古天皇の摂政を務めた聖徳太子を中心に604年に出されたものです。豪族に対して役人としての心構えを示しました。
飛鳥時代を代表する歴史史料の1つです。

「豪族に対して」というのがポイントで、正誤問題では「農民に対して出した」という誤りの選択肢がよく出題されます。
条文の穴埋め問題も出題されることがあます。下線部で引かれている部分ですね。

中学校の定期試験や、上位私立高入試だと、

一 あつく三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり
一 を承りては必ずつつしめ。

といった原本に近い難しい言葉で書かせる場合もありますね。

読み:けんぽうじゅうしちじょう(じゅうななじょうのけんぽう)


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