「 征夷大将軍 」一覧

入試に出る歴史上の人物 「徳川慶喜」

重要
政治の実権を朝廷に返す大政奉還を1867年に行った、江戸幕府15代将軍が徳川慶喜です。

1867年という年号は時代の変換点となる重要な年号なので必ず覚えておきましょう。慶喜という漢字が難しいので必ず書いて練習するようにしましょう。

読み:とくがわよしのぶ
時代:江戸時代末期(19世紀中ごろ)


入試に出る歴史上の人物 「徳川家康」

基本
1600年、天下分け目の戦いといわれた関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開いたのが徳川家康です。徳川家康

標準
徳川家康は三河(愛知県)出身の戦国大名です。1615年大阪の陣で豊臣家を滅亡に追い込んでいます。

注意
関ヶ原の戦いは誤りを選ぶ問題で「徳川家康が関ヶ原の戦いで豊臣家を滅亡させた」という引っかけ問題がよく出題されるので注意が必要です。関ヶ原の戦いは、豊臣家内の主導権争いという見方が現在の主流です。

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」で有名な徳川家康です。戦国時代の最終的な勝者といっていい存在ですが、社会科においては織田信長・豊臣秀吉に比べて覚える内容が少ないため、出題頻度はやや落ちます。

例題)徳川家康の政治について述べた次の文のうち、正しいものを1つ選びなさい。(2018年愛光中)
ア.大阪城をせめて豊臣家を滅ぼした後、朝廷から征夷大将軍に任じられ江戸に幕府をひらいた。
イ.大名や商人に朱印状を与えて、外国との貿易を保護した。
ウ.島原や天草でキリスト教の信者を中心にした一揆が起こると、禁教令を出して信者を取り締まった。
エ.武家諸法度の中で大名が領地と江戸を1年おきに行き来する参勤交代の制度を定めた。

解答)イ

読み:とくがわいえやす
時代:安土桃山・江戸時代初期(16世紀末)


入試に出る歴史上の人物 「足利尊氏」

基本足利尊氏
1338年征夷大将軍となり室町幕府をひらいたのが、足利尊氏です。その際、建武の新政を行っていた後醍醐天皇は吉野に逃れ南朝をひらき、南北朝時代となりました。

標準
鎌倉幕府の滅亡にあたっては、有力な御家人だった尊氏は後醍醐天皇に協力し、京都にあった幕府の拠点である六波羅探題を攻撃しました。

読み:あしかがたかうじ
時代:鎌倉時代末期~室町時代初期(14世紀前半)


入試に出る歴史上の人物 「源頼朝」

読み:みなもとのよりとも源頼朝
時代:平安末~鎌倉初期(12世紀末)

基本
1185年に全国に守護地頭を設置し、武士政権の世をかため、1192年に征夷大将軍となったのが源頼朝です。一般に、頼朝が作り出した政権を鎌倉幕府といいます。

重要
壇ノ浦の戦いで活躍した源義経は弟ですが、戦いの後頼朝と義経は対立し、頼朝が弟をとらえる名目で設置したのが守護・地頭です。

注意
「鎌倉幕府の成立はいつか?」ということがよく言われますが、そもそも「鎌倉幕府」という言葉ができたのは明治時代以降のため、厳密に鎌倉幕府の成立時期を特定することにあまり意味はありません。一般に、1185年と1192年に重点を置く意見が多いので(その理由は上記の守護地頭の設置、もしくは征夷大将軍の就任)、その出来事を覚えておくようにしましょう。

また、古くから源頼朝の肖像画と伝わっていた作品は、最近の研究で別人であるという説が強まっており、教科書では「頼朝の肖像画と伝わる」絵という説明になっています。


入試に出る歴史上の人物 「坂上田村麻呂」

基本
清水寺桓武天皇により征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷(えみし)討伐を行ったのが坂上田村麻呂です。


そのときの蝦夷のリーダーがアテルイ(阿弖流為)です。


中学校の教科書では蝦夷の抵抗に関する地図が掲載されていることが多く、802年につくられた胆沢城などを知っておいてもいいでしょう。

京都にある清水の舞台で有名な清水寺は坂上田村麻呂が建設にかかわったとされます。

読み:さかのうえのたむらまろ
時代:平安初期(8世紀終わり)


入試に出る歴史上の人物 「桓武天皇」

基本平安京
794年に都を平安京に移したのが、桓武天皇です。

また、桓武天皇は東北北部の蝦夷討伐のため、坂上田村麻呂征夷大将軍に任命しました。


桓武天皇が都を移した理由はいくつかありますが、「仏教勢力が政治に関わるのを防ぐため」というのが重要です。

注意
桓武天皇は784年に長岡京に都を移しましたが、うまくいかず平安京に再度都を移しています。藤原京→平城京→長岡京→平安京と都の古い順に並べ替えさせる問題が、よく出題されます。

読み:かんむてんのう
時代:平安時代初期(8世紀末)


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