「 日宋貿易 」一覧

中学入試プレイバック2017 「南山中学女子部」

 (問題では福岡の地形図が掲載されています)地図にある「鴻臚館」とは、中国や朝鮮からの使者をむかえたり、日本からの使節の出発などの準備をしたりする場所で「古代アジアの玄関口」として知られています。初めのころは使節の往来が多かったのですが、9世紀末以降、次第に外国商人の往来が多くなりました。その原因となるできごとを答えなさい。(2017年南山中学女子部)

遣唐使船難しく考えるとドツボにはまる問題です。

厄介なのは「次第に外国商人の往来が多くなりました」の一文です。9世紀末の大陸との関係といえば、894年に遣唐使が停止(廃止ではなく停止が正しい)です。社会科でそこから中国の話がでてくるのは12世紀に平清盛が行った日宋貿易でしょう。そうすると、その間は中国との交流がなかったと思いがちなのですが、実はそうではありません。これは中学校教科書でも記載されていることなのですが、遣唐使が停止された後も、大陸との正式な国交はなかったものの商人の行き来はありました。
「初めのころは使節の往来が多かったが、9世紀末に大陸との使節の往来が減った」理由を答える問題と考えることができれば、894年の遣唐使の停止がでてきることは難しくないはずです。

 遣唐使の停止


入試に出る歴史上の人物 「平清盛」

平清盛基本
1156年武士で初めて太政大臣になったのが平清盛です。宋との貿易(日宋貿易)を行ったことも入試で頻出です。

重要
平清盛は1156年におきた天皇家や貴族の争いである保元の乱に天皇方で加わり力をつけました。その後1159年の平治の乱でライバルの源義朝をやぶり権力基盤を固めました。
平清盛は兵庫で宋との貿易を行いました(中学入試では大輪田泊という地名も覚えておきたいところです)。また、広島にある世界文化遺産で日本三景の安芸の宮島でもある厳島神社を整備したのが清盛です。


権力を握った清盛は自分の娘を天皇の后にするという藤原氏が行ってきた手法をとり、既存の武士の反感を買うきっかけになりました。

読み:たいらのきよもり
時代:平安末期(12世紀半ば)

例題)平安時代、平清盛は武士としてはじめて太政大臣となり、政治の実権を握った。平清盛が行ったことについて述べた下の文中の空らんに入る適切な内容を書きなさい。(2018年青森県公立高)

平清盛は(     )ために、兵庫(神戸市)の港を整備した。

答)日宋貿易を行う


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