「 源頼朝 」一覧

入試に出る歴史上の人物 「北条時政」

発展
鎌倉幕府をひらいた源頼朝の妻、北条政子の父で初代執権が北条時政です。

入試で北条時政の名前が出てくるときは、だいたい記号選択の問題です。たとえば、「御成敗式目を行った執権を次のア~エから選びなさい」といった問題で選択肢の1つとして登場するイメージですね。入試で名前を書かせる問題は見た記憶はありません。

読み:ほうじょうときまさ
時代:12世紀末(鎌倉時代前半)


入試に出る歴史上の人物 「源義仲」

標準
源平の争いの中で1183年の倶利伽羅峠の戦いで勝利したのが木曽の源義仲です。これにより、平氏は西国に落ち延びました。京都を抑えた義仲でしたが、同じ源氏である源頼朝に敗れました。

源義仲・倶利伽羅峠の戦いを記述させる問題はほぼ出題されませんが、源平の争いを順番に並べ替える問題はよく出題されます。順序としては

石橋山の戦い(1180年)

富士川の戦い(1180年)★

倶利伽羅峠の戦い(1183年)

一の谷の戦い(1184年)★

屋島の戦い(1185年)★

壇ノ浦の戦い(1185年)★

となります。だいたい、★のついている4つの並べ替えが多いです。源平の戦いはどんどん西へ西へと進んでいくことが資料集などで確認すると分かります。倶利伽羅峠の戦いで平氏が京都から西に逃げたと分かると時期が見えてきます。

読み:みなもとのよしなか
時代:平安時代末期(12世紀後半)

 


入試に出る歴史上の人物 「源義朝」

標準
1156年におきた保元の乱で天皇方で活躍し、その後おきた平治の乱でライバルである平清盛に敗れたのが源義朝です。源頼朝・義経の父親です。

平清盛のライバル、源頼朝・義経兄弟の父親という歴史的にみて重要な人物に関わるキーパーソンです。ただ、源義朝自身はそれほど入試に出るわけではありません。

読み:みなもとのよしとも
時代:平安末期(12世紀半ば)


入試に出る歴史上の人物 「北条政子」

読み:ほうじょうまさこ北条政子
時代:鎌倉初期(13世紀前半)

基本
源頼朝の妻であり、源氏の将軍が途絶えた後におきた承久の乱御家人に結束を訴えたのが北条政子です。この戦いに勝った鎌倉幕府は京都に六波羅探題を設置し、西国にも勢力を伸ばしました。いわゆる執権政治の成立です。

重要
「みなの者、よく聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝公が朝廷の敵をたおし、幕府を開いてこのかた、官職といい、土地といい、その恩は山より高く、海より深いものでした」
という北条政子が語ったとされる訴えは史料として入試の定番です。大勢の御家人の前で演説したイメージが強いですが、実際は側近数名に語った内容といわれています。

 


入試に出る歴史上の人物 「源頼朝」

読み:みなもとのよりとも源頼朝
時代:平安末~鎌倉初期(12世紀末)

基本
1185年に全国に守護地頭を設置し、武士政権の世をかため、1192年に征夷大将軍となったのが源頼朝です。一般に、頼朝が作り出した政権を鎌倉幕府といいます。

重要
壇ノ浦の戦いで活躍した源義経は弟ですが、戦いの後頼朝と義経は対立し、頼朝が弟をとらえる名目で設置したのが守護・地頭です。

注意
「鎌倉幕府の成立はいつか?」ということがよく言われますが、そもそも「鎌倉幕府」という言葉ができたのは明治時代以降のため、厳密に鎌倉幕府の成立時期を特定することにあまり意味はありません。一般に、1185年と1192年に重点を置く意見が多いので(その理由は上記の守護地頭の設置、もしくは征夷大将軍の就任)、その出来事を覚えておくようにしましょう。

また、古くから源頼朝の肖像画と伝わっていた作品は、最近の研究で別人であるという説が強まっており、教科書では「頼朝の肖像画と伝わる」絵という説明になっています。


入試に出る歴史上の人物 「源義経」

読み:みなもとのよしつね源義経
時代:平安末期(12世紀末)

重要
1185年におきた壇ノ浦の戦い(山口県)で平氏を滅亡させた中心人物が源義経です。鎌倉幕府をつくった源頼朝は兄です。


源平の戦いである、石橋山の戦い→富士川の戦い→倶利伽羅峠の戦い→一の谷の戦い→屋島の戦い→壇ノ浦の戦いという流れは意外と並び替えの問題で出題されます。平氏がかつての根拠地だった西日本に逃れていくことが地図から読み取れます。