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予習シリーズ社会解説 「5年下第2回 古墳時代・飛鳥時代」

予習シリーズ第2回では古墳時代・飛鳥時代が取り上げられています。時代でいうと、3世紀末から7世紀にかけてです。もともと、古墳時代と飛鳥時代は一つの時代ですが、現在では推古天皇即位以降を飛鳥時代と分けるのが一般的です。

古墳時代は「空白の4世紀」という言葉があるほどわかっていないことが多く、出題されることが限定される時代です。前方後円墳埴輪といったキーワードの出題頻度が高くなります。ちなみに埴輪は漢字指定されることが少なく、ひらがなで書いてもほぼ大丈夫です。
日本最大の古墳である大仙古墳(大阪府)はもちろん重要ですが、同じくらい稲荷山古墳(埼玉県)も重要です。稲荷山古墳から出土された「ワカタケル大王」と刻まれた鉄剣の存在により何がわかるかという記述問題は定番です。「5世紀当時のヤマト政権の勢力が関東地方まで伸びていたこと」が正解になります。当然、稲荷山古墳は埼玉県というのも重要です。
ちなみに、ヤマト政権は大和と漢字で書かずにカタカナで書くのが近年のスタンダードです。これは、律令政治以降の大和と区別するためですが別に漢字で書いても大丈夫です。ひらがなで書くと不正解になる可能性があるので一応注意しておきましょう。ヤマト朝廷という言い方もしますが、最近では「政権」「王権」のほうが一般的なようです。

渡来人も古墳時代を代表するキーワードです。渡来人から伝わった技術・文化は多岐にわたるので、すべて覚えるのは大変です。どちらかというと、渡来人から伝わったもの「ではない」ものを選ぶ問題が出題されます。パターンとしては、伝わったのは弥生時代の稲作か平安時代に日本独自に成立したかな文字を選ばせる場合が多いです。

聖徳太子飛鳥時代は何といっても聖徳太子中大兄皇子です。聖徳太子は冠位十二階と憲法十七条が定番ですね。憲法十七条は豪族に対して役人としての心構えを示したものですが、正誤問題で「農民に対して心構えをしめした」といったようなひっかけパターンが頻出です。
遣隋使は皇帝におくられた手紙を史料にして、中国と対等な立場での外交を目指したという記述をさせる問題が出題されます。なお、聖徳太子は厩戸皇子という表記をすることが増えつつありますが、中学受験では聖徳太子で大丈夫なので、授業ではあえて厩戸皇子という表記は板書をしません。
聖徳太子といえば法隆寺というぐらい法隆寺も頻出です。受験直前では絶対に正解する問題でも小5生には新しい知識であることは教える側として意識しておく必要がありますね。

中大兄皇子といえば大化の改新です。大化の改新は基本知識ですが、これで一気に改革が進んだわけではないことが現在の研究では明らかになっています。入試では大化の改新以上に、百済を支援するために唐・新羅と戦い敗れた白村江の戦いと、その後中大兄皇子が天智天皇に即位したことが重要です。中大兄皇子=天智天皇ですが、大化の改新を行った人物で天智天皇と書くと不正解になるので注意が必要です。また、気がついたら中国の王朝が隋から唐になっているのも触れておく必要があります。
天智天皇の死後おきた壬申の乱で勝った天武天皇も重要です。また、最近の研究で藤原京の規模が想像されていたものより大規模だったことが判明しており、その時の天皇だった持統天皇の出題頻度も上昇しています。持統天皇は初めて上皇になった人物としても注意が必要ですね。


中学入試プレイバック2018 「早稲田実業学校中等部」

正誤選択の問題はまず明らかに正解、もしくは誤りを探すことから始めます。自信を持って正解と言い切れる選択肢があればベストですが、いつもそういうわけにはいきません。
この問題ではまず外したいのはウ・オです。ウはちょっと笑っちゃいますね。遣隋使と言えば、おなじみ小野妹子ですが、初めて聞いたとき女性と思う人は多いでしょう。小学生時代の私もそうでした。オの鑑真は中国に渡った人物ではなく、中国から渡ってきた人物です。

イはなかなかいやらしいです。遣唐使の初期は朝鮮半島をわたるルート(北路)を使っていましたが、新羅との関係が悪化すると危険な東シナ海を渡るルート(南路)をつかうようになりました。ここまではいいとして、台湾を通ったかまではっきり地図で覚えている生徒は少ないでしょう。ただ、日本周辺の地図を思い浮かべると台湾までいくと大回りすぎるんですよね。実際は、奄美・琉球から唐に渡っています。

最後にエです。ぶっちゃけた話、聖徳太子蘇我馬子の関係がここまで史料からはっきり分かったら日本古代史の記述が変わります。
遣隋使の派遣と言えば607年ですが、中国の歴史書には600年に日本(倭)から使者が来たという記述があります。しかし、当時の日本は法整備が遅れており、中国から相手にされなかったようです。それが、603年冠位十二階、604年十七条の憲法といった取り組みにつながっていったと考えられています。この文は、大胆にみてきたような嘘をついた面白さがありますね。

対等外交を求めてきた倭に対して隋は快く思わなかったものの、高句麗遠征などで疲弊していた隋に事を荒立てる力がなかったというのは意外と有名な話です。難易度としてはそこそこで、偏差値70に迫る学校に合格しようと思ったらここは取っておかなくてはいけない問題でしょう。

答え:ア


問題の難易度を調整するテクニックの話

採点する教師模試やテストで問題を作成するときに重要なことの1つに難易度の調整があります。1つのテストで難しい問題ばかり出題してもいけませんし、その逆も同様です。テストごとに取らせたい平均点が設定されており、それに合わせて難易度を調整していきます。
難易度を上げるということは難しいことを聞くと思いがちですが、それほど単純ではありません。今回は、その調整方法の話をしたいと思います。

たとえば、こんな問題があったとします。
 推古天皇の摂政として活動した人物の名前を答えなさい。

答えは「聖徳太子」です。この問題の難易度を下げるには答えを選択肢にすればよいです。

 推古天皇の摂政として活動した人物を次のア~エから1つ選び、記号で答えなさい。
ア.聖徳太子 イ.中大兄皇子 ウ.中臣鎌足 エ.大海人皇子

答えは「ア」になります。答えを選択式にすれば、この場合最低でも正解率は25%(未記入は除く)です。同じ選択問題でも次のようにすると難易度は上がります。

 推古天皇の摂政として活動した人物を説明した内容としてあてはまるものを次のア~エから1つ選び、記号で答えなさい。

ア.能力のある役人を登用するために冠位十二階を定めた。
イ.農民に対し、生活の心構えを示す十七条憲法を定めた。
ウ.小野妹子を唐に派遣した。
エ.国ごとに国分寺を建立した。

これも、正解は「ア」ですが、冠位十二階・十七条の憲法・小野妹子は聖徳太子に関するキーワードが入っているため、他のものを選ぶ可能性があり「聖徳太子」とただ答える問題より正解率は下がります。他の方法として

 推古天皇の摂政として活動した人物が定めた役人の心構えを示したきまりをなんというか答えなさい。

「聖徳太子」というキーワードを前提にそこから派生知識を聞くというのも難易度を上げる定番です。「聖徳太子が定めた役人の心構えを示したきまりをなんというか答えなさい。」という表現よりも少しだけ正解率が下がります。

テスト作成ではあらかじめリード文を作成することが多く、そこから問題をつくっていくことが大半です。問題を作成した後、難易度の調整をするときに一から問題を作り直すことは大変なので、このような方法で微調整をすることが良くあります。


入試に出る歴史上の人物 「小野妹子」


聖徳太子の指示のもと、遣隋使として派遣されたのが小野妹子です。


遣隋使の狙いの一つとして、対等な立場で中国と外交関係を結ぼうとしたことがあげられます。

小野妹子は他の時代の外交官(たとえば、遣唐使の犬上御田鍬)と比較しても登場頻度の高い人物ですね。よく考えると、ちょっとだけ不思議です。

読み:おののいもこ




入試に出る歴史上の人物 「聖徳太子」

聖徳太子
593年、おばである推古天皇摂政についた人物が聖徳太子です。
聖徳太子は603年、能力ある役人を取り立てるため冠位十二階を制定しました。翌年、役人に対して心構えを示す十七条の憲法(憲法十七条)を制定しています。
607年、小野妹子を遣隋使として派遣しました。これらの内容は時代順に並べ替えをする問題の定番です。

また、現存する世界最古の木造建築である法隆寺をつくらせました。聖徳太子の頃の文化を飛鳥文化といいます。


聖徳太子に協力した豪族に蘇我馬子がいます。

「聖徳太子」という名前は死後よばれるようになった名称のため、高校の教科書では厩戸王(うまやとおう)という表記が主流になっています。中学校の教科書でも「聖徳太子(厩戸王)」という書き方がされています。
最新の研究成果で教科書の扱いが変わった筆頭にあげられる聖徳太子ですが、今でも重要人物なことに変わりはありません。

読み:しょうとくたいし


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