「 自由民権運動 」一覧

入試に出る歴史上の人物 「大隈重信」

重要
大隈講堂1882年に立憲改進党をつくり、明治時代の政治に大きな役割を果たした人物が大隈重信です。大隈重信は明治政府の要職にありましたが、政府内で早期の議会開設を唱え周囲と対立、明治政府を辞めています。

発展
大隈重信は早稲田大学の創設者です。

注意
大隈重信の「隈」の字は間違いがおきやすい字なので注意しましょう。

首相にならなかった板垣退助に対し、大隈重信は2回首相になっています。最初に首相になったのは1898年のことで薩長勢力以外で初めての首相であり、日本初の政党内閣とされます。憲政に対する貢献により、伊藤博文・板垣退助とともに国会議事堂中央広間に銅像が建てられています。

読み:おおくましげのぶ
時代:明治時代後半(19世紀後半)


入試に出る歴史上の人物 「板垣退助」

基本
板垣退助1874年、議会開設を求める民撰議院設立建白書を提出し自由民権運動の中心となったのが板垣退助です。1881年には日本最初の近代政党となる自由党を設立しました。

重要
板垣退助は土佐藩の中心として活躍し、明治政府にも参加しましたが、武力で朝鮮半島を開国させる征韓論による対立で政府を辞めています。

応用
板垣退助が議会開設を目指し土佐につくった組織が立志社です。1880年には自由民権運動を推進していたほかの組織とともに国会期成同盟に参加しました。

板垣退助は伊藤博文・大隈重信とともに国会議事堂中央広間に銅像が建てられています。この3人の中で板垣退助だけ内閣総理大臣になっていません。
明治時代の人物は、肖像画が史料として使われることが多いですが、板垣退助はその髭が印象的です。頬に手を当てて「髭ボーンが板垣退助」というとまぁまぁ受けます。

読み:いたがきたいすけ
時代:明治時代(19世紀後半)


入試に出る歴史上の人物 「中江兆民」

応用
中江兆民「社会契約論」で知られるフランスの思想家ルソーを日本に紹介した人物が中江兆民です。中江兆民の考えは議会開設を求める自由民権運動に大きな影響を与えました。

中学受験でルソーは出てこないので、そのルソーの著作を紹介した中江兆民も中学受験では、あまり出題されません。ただ、高校入試では思いのほか出題される人物です。

読み:なかえちょうみん
時代:明治時代前半(19世紀末)


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