「 遣唐使 」一覧

新元号「令和」がどう入試に出るのか?

新しい元号が「令和」に決まりました。今回はこのサイトらしく、新元号「令和」に関連してどんな問題が入試で出題されるか予測したいと思います。

まず、分かりやすいところでは出典となった万葉集でしょう。最も万葉集はもともと日本最古の歌集として入試で頻出の知識ですから、元号に関係なく覚えておきましょう。万葉集は天皇から庶民まで様々な身分の人の作品が収められていることも重要です。編者とされる大伴家持は、社会科ではそれほど出題されませんが余裕があればといったところです。
今回出典となった万葉集の序文の作者は、山上憶良という説もあるようです。山上憶良といえば、農民の貧しい暮らしを描いた「貧窮問答歌」が入試で出題される人物です。そりゃ、出題されるでしょ。貧窮問答歌は漢字で書くのが大変ですが、何としても覚えておきましょう。山上憶良関係だと、他には国司(憶良が就いていた役職)・遣唐使(派遣歴あり)なども狙われそうです。
万葉集には天智・天武・持統天皇など飛鳥時代から奈良時代の人物の詩が収められています。それらの人物を題材に問題をつくるのは簡単です。そうやって考えると、飛鳥・奈良時代全体の出題率が上昇する可能性があります。

別の視点で見ると、「令和」のうち”令”は初めて元号で使用される漢字ですが、”和”は過去19回使用されてきた字です。個人的に、新元号で問題をつくれと言われたら”和”が使われた元号を並べて問題をつくりますね。一覧にすると以下の通りです。

和銅(708~715)
承和(834~847)
仁和(885~889)
応和(961~964)
安和(968~970)
寛和(985~987)
康和(1099~1103)
養和(1181~1182)
正和(1312~1317)
貞和(1345~1349)
文和(1352~1355)
永和(1375~1379)
弘和(1381~1384)
元和(1615~1624)
天和(1681~1684)
明和(1764~1772)
享和(1801~1804)
昭和(1926~1989)

まず、目を引くのは最初の「和銅」です。武蔵で銅が発見されたことを記念してつけられた元号で、かつては日本最古の通貨だった和同開珎がつくられています。これは出そうですね。武蔵が現在の埼玉県というのも押さえておいてもいいでしょう。
「養和」は後に壇ノ浦の戦いで入水する安徳天皇のときの元号です。
それから、14世紀にやたらと使われているのが興味深いです。南北朝の争乱期のため、元号も北朝・南朝それぞれにある時代です。元号が2つあったことを示して理由を聞く問題も面白いですね。
元和以降は江戸時代を幅広く取り上げやすく使い勝手がよさそうです。
ただ、このテーマで問題をつくると最後の「昭和」が長すぎて何でもありになってしまうのがネックですね………。

まとめると、山上憶良・和同開珎あたりの出題可能性が大幅にアップですね。
それにしても、「いらすとや」さんは仕事が早すぎです。


中学入試プレイバック2018 「早稲田実業学校中等部」

正誤選択の問題はまず明らかに正解、もしくは誤りを探すことから始めます。自信を持って正解と言い切れる選択肢があればベストですが、いつもそういうわけにはいきません。
この問題ではまず外したいのはウ・オです。ウはちょっと笑っちゃいますね。遣隋使と言えば、おなじみ小野妹子ですが、初めて聞いたとき女性と思う人は多いでしょう。小学生時代の私もそうでした。オの鑑真は中国に渡った人物ではなく、中国から渡ってきた人物です。

イはなかなかいやらしいです。遣唐使の初期は朝鮮半島をわたるルート(北路)を使っていましたが、新羅との関係が悪化すると危険な東シナ海を渡るルート(南路)をつかうようになりました。ここまではいいとして、台湾を通ったかまではっきり地図で覚えている生徒は少ないでしょう。ただ、日本周辺の地図を思い浮かべると台湾までいくと大回りすぎるんですよね。実際は、奄美・琉球から唐に渡っています。

最後にエです。ぶっちゃけた話、聖徳太子蘇我馬子の関係がここまで史料からはっきり分かったら日本古代史の記述が変わります。
遣隋使の派遣と言えば607年ですが、中国の歴史書には600年に日本(倭)から使者が来たという記述があります。しかし、当時の日本は法整備が遅れており、中国から相手にされなかったようです。それが、603年冠位十二階、604年十七条の憲法といった取り組みにつながっていったと考えられています。この文は、大胆にみてきたような嘘をついた面白さがありますね。

対等外交を求めてきた倭に対して隋は快く思わなかったものの、高句麗遠征などで疲弊していた隋に事を荒立てる力がなかったというのは意外と有名な話です。難易度としてはそこそこで、偏差値70に迫る学校に合格しようと思ったらここは取っておかなくてはいけない問題でしょう。

答え:ア


中学入試プレイバック2017 「南山中学女子部」

 (問題では福岡の地形図が掲載されています)地図にある「鴻臚館」とは、中国や朝鮮からの使者をむかえたり、日本からの使節の出発などの準備をしたりする場所で「古代アジアの玄関口」として知られています。初めのころは使節の往来が多かったのですが、9世紀末以降、次第に外国商人の往来が多くなりました。その原因となるできごとを答えなさい。(2017年南山中学女子部)

遣唐使船難しく考えるとドツボにはまる問題です。

厄介なのは「次第に外国商人の往来が多くなりました」の一文です。9世紀末の大陸との関係といえば、894年に遣唐使が停止(廃止ではなく停止が正しい)です。社会科でそこから中国の話がでてくるのは12世紀に平清盛が行った日宋貿易でしょう。そうすると、その間は中国との交流がなかったと思いがちなのですが、実はそうではありません。これは中学校教科書でも記載されていることなのですが、遣唐使が停止された後も、大陸との正式な国交はなかったものの商人の行き来はありました。
「初めのころは使節の往来が多かったが、9世紀末に大陸との使節の往来が減った」理由を答える問題と考えることができれば、894年の遣唐使の停止がでてきることは難しくないはずです。

 遣唐使の停止


入試に出る歴史上の人物 「阿倍仲麻呂」

遣唐使船
遣唐使として唐に派遣され、そのまま唐で役人となり一生を終えたことで知られるのが、阿倍仲麻呂です。自分の故郷を懐かしんだ「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という歌が史料問題で出題されます。

読み:あべのなかまろ
時代:奈良時代(8世紀前半)


入試に出る歴史上の人物 「菅原道真」

重要太宰府天満宮
894年に遣唐使の停止(廃止ではない)を提案し認められたのが菅原道真です。遣唐使が停止された理由はいくつかありますが、「唐のおとろえ」「航海が危険である」という2つが重要です。”白紙(894)に戻す遣唐使”という語呂合わせは定番で、かつその後に唐が滅亡している(907年)という点でも重要です。

注意
“を”“と間違えることが非常に多いので注意が必要です。

読み:すがわらのみちざね
時代:平安時代前半(9世紀末)


入試に出る歴史上の人物 「鑑真」

読み:がんじん唐招提寺
時代:奈良(8世紀中ごろ)

基本
仏教の知識を日本に伝えるために、唐から日本に招かれた僧が鑑真です。日本への渡航は5回失敗し、6度目の渡航でやっと日本にたどり着きました。鑑真が日本で建立したとされる寺が唐招提寺です。
注意
唐招提寺の金堂と現在に伝わる鑑真像は写真史料問題の定番の一つです。



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